マンスリーリレーコラム
第11回 立体日本地図に触れたことで
「ごちそうさまでした」
ランチが終わり,店を出ようとして,ふと見上げると,出入り口の扉の上に立体日本地図があるのに気づいた.
「あぁ,なつかしい」
同じ物が家にあった.山にも興味のあった幼い子どもは日本列島の凹凸を手で触って,触覚で日本の地形を理解していたようである.富士山や鹿児島県の開聞岳(かいもんだけ)は円錐形(注:当時はこの単語を知らなかった)をしており,これらは火山だから,同じような形の山も火山なのだろうと妄想を膨らませていた.生まれ育った大阪にはこのような地形がなく,とても残念に思っていたが,「火山ではない山はどうやってできるのだろうか?」ということも知らず知らずのうちに考えていたようである.また,奈良県から愛媛県に続く東西方向のリニアメント(注:当時はこの単語も知らなかった)の存在も気づいていたが,それが中央構造線という大きな断層の一部だと知ったのは後のことである.あと,たくさんの落書きをした.
幼い子どもはやがて,地質学者となり,今は鳥取大学で働いている.当時は山の形からその土地の成り立ちを妄想していたが,現在は山の形だけでなく,大地を構成する岩石,地層の積み重なりからそれらの形成過程をひも解き,地球の歴史に新たな1ページを書き加えたり,書き直したりする研究をしている.今思えば,この立体日本地図は私がこのような仕事に就いている原因の一つに違いなく,この記念碑的なものに落書きをせずに大事に残していれば良かったと思うが,落書きが過ぎて幼い子どもを育ててくれた立体日本地図は実家に残っていない.もったいないことをしたと悔やんでいるが,落書きをしたからこそ今があるのかもしれないとも思えるので,仕方のないところではある.
この仕事を通じて,本当に多くの良縁に恵まれた.だからあの立体日本地図とこれを私に与えてくれた両親に感謝している.私の子どもにもなんとかあの立体日本地図を与えたいと思うとともに,せっかくなので山陰海岸ジオパークの立体地図なんかも手元にあればいいなぁ・・・とも思う.いずれにせよ,多くの子どもたちに様々な機会を与えることは親として,教育に携わる者として,社会を構成する一員として忘れてはならない.
おなかだけでなく,心が感謝で満たされた私は決意を新たに,扉を開けて,店を出た.
投稿者:鳥取大学 菅森義晃
sugamori[アットマーク]tottori-u.ac.jp
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