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第5回 玄武岩の柱状節理から生まれた御熊神社

私たちは鳥取敬愛高等学校の社会部です。私たちは毎年テーマを一つ決めて研究活動をしています。2020年度の研究テーマは「玄武岩の柱状節理から生まれた御熊神社」です。今回はその研究の一部をご紹介します。

マグマが冷え固まるときに六角柱状になることがあります。それを柱状節理といい、豊岡の玄武洞が有名です。私たちの住む鳥取県東部にも柱状節理があります、その一つが白兎神社から南に向かった御熊地区にある御熊神社の境内です。

御熊神社は険しい崖の中腹に小さな社殿がとっても不思議な神社です。その社殿の裏側に写真のような六角柱が突き出ています。通常柱状節理は縦にできるのが普通ですが、御熊神社の柱状節理は横型の上、社殿の裏側の崖から突き出るようにできているのが特徴です。さらに、御熊神社では、社殿へ向かう斜面もこの玄武岩の柱状節理が階段状に並べられていて、とても幻想的な雰囲気が感じられます。

私たちは、「横型柱状節理がどのようにしてできたか」という点と、「御熊神社の伝説」について調べてみました。今回は「御熊神社の伝説」についてお話します。御熊神社の正式名称は、「阿太賀都健御熊命は(アタカツタケミクマノミコト)神社」といいます。阿太賀都健御熊命は、日本書紀によると、葦原中国平定のために派遣した天穂日命が三年経っても帰ってこなかったので、その子で阿太賀都健御熊命(オオソビノミクマノウシ)、別名武三熊之大人を遣わしたが、これも父神同様、帰ってこなかったとあります。その阿太賀都健御熊命が、御熊神社の祭神です。御熊神社の伝説はこの阿太賀都健御熊命が一夜にして隠岐の島まで橋をかけようとしたが、アマンジャクが鶏のマネをしたことにより、もう朝が来てしまったと勘違いした御熊の命があきらめてしまって橋を架けることができず、そしてその橋の名残が御熊神社の柱状節理をして残っているというものです。因幡誌にも同様の伝説が記載されています。

この伝説をもとに御熊神社ができた経緯を私たちは次のように推測しました。

①何万年も前(日本海が形成された時期)にマグマ冷えて地中に柱状節理ができます。

②平安時代のある日、土砂崩れが起き、柱状節理が突然現れます。当時の人々にとっては神々の仕業に感じられたかもしれません。

③硬くて丈夫な玄武岩の柱は、家の礎石などに使われ、人々に多くの恵みを与えました。

④人々は柱大明神の神社を建立して神様への感謝の気持ちを伝えることにしました。

このようにして柱状節理から御熊神社が生まれたのではないかと私たちは考えています。

温かくなったら御熊神社の柱状節理を訪ねてみてください。


投稿者:鳥取敬愛高等学校社会部 西井 肇
電話 0857-22-8397

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