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多鯰ヶ池の成因と湯山池の干拓

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多鯰ヶ池

多鯰ヶ池の成因と湯山池の干拓

多鯰ヶ池は、砂丘が谷水をせき止めてつくった「せき止め湖」です。
江戸時代の古地図や文献では、北岸の大島は島として描かれていますが、現在では押し寄せる砂によって陸続きになりました。
以前の多鯰ヶ池はもっと大きかったことがうかがえます。
また、多鯰ヶ池の東に位置していた湯山池は、安政6年(1859年)に干拓が始まっています。
飛砂のために田畑が埋まり苦労していた農民たちを救うためには、植林とともに湯山池を干拓し新田を作ることを考えたのが宿院義般です。
多鯰ヶ池の水位が湯山池よりも16メートルほど高いことを利用し、トンネルを掘りその水流に砂を流して湯山池を埋め立てる計画を立てました。
そして、明治4年までに約50ヘクタールを埋め立てました。

- DATA -
所在地 鳥取県鳥取市福部町湯山

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