山陰海岸ジオパーク

モデルコース

テーマ別周遊ルート

もうひとつの天下分け目の戦

~ 織田VS毛利の攻防を巡る ~

戦国時代末期、西日本最大の戦国大名ともいわれる毛利氏、天下統一を図ろうとする織田信長・豊臣(羽柴)秀吉。両勢力の間の中国地方東部の各地では激しい戦いが繰り広げられました。

戦いの舞台となった山城はなぜそこにつくられたのでしょうか?そこには地形を巧みに生かした戦略がありました。また、舗装道路や鉄道がなかった時代、戦国武将たちはどんな道を歩いたのでしょうか?

ここでは、山城や街道、峠道などについて、地形などの当時の自然環境からそれがつくられた理由や戦略に迫ります。当時の人々が体験したこと、考えたこと、見ていた景色がありありと想像され、あなたの想像がよりリアルになるはずです。さあ、戦いの跡をめぐる旅に出発!

モデルルート



1鳥取城→2防己尾(つづらお)城→3大崎城 →4鹿野城・鹿野城下町→
5蒲生峠→6小代城山城→7出石城・有子山城

ルートマップ

テーマ別モデルルート

1、鳥取城(鳥取市)/「兵糧攻め」の舞台

旅は最終決戦の地「鳥取城」から!

織田方の武将羽柴秀吉軍は、天正8(1580)年(第一次)と天正9(1581)年(第二次)の2度に渡って因幡(鳥取県東部)に侵攻しました。第二次因幡攻めの際には、秀吉軍は毛利方の主要拠点であった鳥取城を圧倒的な兵力で包囲し、一切の食料補給路を断つ「兵糧攻め」を行いました。鳥取城は3か月以上も耐えましたが、やがて城内は兵糧が尽き果て悲惨な状況に陥ったと言われています。城主吉川経家は部下や城に避難した民衆の命と引き換えに自刃し、城は開城しました。勝利した秀吉はその後織田信長の後継者としてやがて天下統一を成し遂げていきます。一方、秀吉に敗れた毛利氏は中国地方東部における勢力を失い、領国の縮小を余儀なくされました。

鳥取城が築かれた標高263 mの久松山(きゅうしょうざん)は、鳥取市のシンボル的な山で、鳥取平野の東の端にそびえ立つ岩山です。戦国時代、険しい山登りの末、頂上の本丸跡に立つと鳥取平野を一望でき、日本海にそって鳥取砂丘や遠くは中国地方最高峰の大山まで望むことができます。視点を転じて、本丸跡から東方向僅か1.4km先に見える本陣山(標高251 m)には、兵糧攻めの際に羽柴秀吉が約100日間全軍指揮にあたった陣城「太閤ヶ平(たいこうがなる)」があります。至近距離から秀吉に見張られている毛利方吉川経家の気分に浸ることができるでしょう。

また、久松山山麓には、江戸時代鳥取藩32万石の居城の遺構が残ります。各時代に整備された石垣群は圧巻です。球型に積み上げられた「巻石垣」など、鳥取城でしか見ることができない珍しい石垣もあります。二ノ丸背後には、石垣の石材を調達した石切場跡があります。

<城攻め情報>
鳥取城入口~久松山山頂 徒歩1時間
久松山山頂~太閤ヶ平 徒歩1時間

↓関連情報へリンク↓
冊子「国指定史跡・日本百名城 鳥取城跡」ダウンロード

https://www.city.tottori.lg.jp/www/contents/1432278469689/index.html

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車で約30分

2、防己尾(つづらお)城(鳥取市)/半島の地形を活かした難攻不落の城

鳥取平野の西端に、池と名の付く湖で日本最大の大きさと言われる湖山池があります。防己尾城は因幡の国人であった吉岡氏(毛利方)の拠点で、湖山池に突出した半島の標高約39 mの丘陵上に築城されました。それほど急峻な山ではありませんが、北・東・南の3方が湖山池に面した断崖となっており、地形を巧みに利用した攻めにくい城でした。

天正9年(1581年)秀吉軍による第二次因幡攻めの際には吉岡軍は奮闘し、3度も秀吉軍を破り、秀吉の馬印である「千成瓢箪(せんなりひょうたん)」を奪取したといわれています。しかし、後に鹿野城主亀井氏に城を包囲され、兵糧が尽き、ついに落城しました。

防己尾城跡は歩きやすい遊歩道が整備されており、歩道沿いに曲輪や堀などの遺構を多数見ることができます。本丸跡や三ノ丸跡の広場では桜を楽しむこともできます。


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車で約15分

3、大崎城(鳥取市)/日本海に面した山城

秀吉軍により因幡国内の陸の交通路をほとんど封鎖(後述:鹿野城・鹿野城下町)された毛利方にとって、籠城中の鳥取城を救援するルートは海上にしか残されていませんでした。毛利方は石見(島根県西部)の港から援軍と兵糧を運ぶ船を派遣しようとしましたが、織田方の松井水軍がそれを阻みました。松井水軍は鳥取城へ通じる千代川の河口付近を封鎖するとともに、日本海に面した山城である大崎城や泊城を攻撃し、城下を焼き払いました。海・陸両方の救援ルートを断たれた鳥取城の落城は時間の問題となってしまったのです。

神話「因幡の白兎」の舞台としても有名な鳥取市白兎海岸の西方に位置する小沢見(こぞみ)海岸・牛込海岸と水尻海岸の間に、海に突出した標高94mの丘陵があります。ここに大崎城がありました。砂丘地や平野が広がり直線的な海岸線の多い因幡の沿岸では、このような場所にしばしば山城が築かれ、交通・軍事上の要衝となりました。

大崎城跡へは、地元の人によって整備された登山道があり、気持ちの良い登山を楽しむことができます。登山道沿いに連なるように並ぶ曲輪や、土塁、竪堀を見ることができます。土塁で囲まれた主郭からの眺めは格別で、東西の日本海沿岸と南の水尻池を望むことができます。水尻池は湾が砂丘によって閉じた潟湖(ラグーン)です。もしかしたら、城があった当時は港としての機能をもっていたのかもしれません。


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車で約20分

4、鹿野城・鹿野城下町(鳥取市)/山と海へ通じる「亀井さん」のお城

天正8(1580)年因幡に侵攻した秀吉軍は、鳥取城攻略に向けて、鳥取城下と周辺地域を結ぶ主要交通路上にある城を次々に手中に収めていきました。これにより、鳥取城へ通じる陸路はほぼ封鎖されました。特に鳥取市南西部、鷲が羽を広げたように東西に張り出した峰を持つ鷲峯山(じゅうぼうさん:921m)の麓に位置する鹿野城は、もともと毛利氏の因幡支配の重要拠点でした。この場所は因幡(鳥取県東部)から伯耆(鳥取県中西部)に向かう山越えルート上にあり、河内川と浜村川によって海岸部へ通じているため、政治・経済の要衝だったのです。鹿野城攻略後、秀吉から鹿野城へ派遣されたのが亀井茲矩(これのり)でした。

天正9(1581)年の鳥取城攻略(兵糧攻め)で戦功を上げた亀井氏は鹿野城主に任命され、その後関ヶ原の戦いを経て鹿野藩初代藩主となりました。37年にわたる亀井氏の支配のあいだ、湿地帯の干拓などによる新田開発や用水路の工事を積極的に行い、領内を豊かにしました。また、日本海側の大名としては珍しく、朱印船貿易も行いました。亀井茲矩は今でも「亀井さん」と呼ばれ、郷土の人たちに親しまれています。

さて、鷲峯山の麓には鹿野城下町が広がっています。今も武家屋敷のあった殿町、商人の上町、下町、鍛冶町、大工町などの町割りや、町を巡る水路など今もよく残っており、京風の格子構えを備えた町屋は、往時の面影をよく留めています。散策しながら城下町の地形をよく見ると、山に向かって緩やかな坂になっており、城下町の外に比べてやや高い土地であることが分かります。ここはかつて川が運んだ砂や石ころがたまってできた「台地」です。台地は、一般に洪水や地震に対する安全度が比較的高い上、台地の上の面は平らなので住居を建てるのに適しています。交通の要衝だったこの台地の上に古くから町が栄えていたのを、亀井茲矩が城下町としてさらに整備しました。

↓関連情報へリンク↓
城下町ガイド:ぷらっとしかのガイドの会

https://shikano-dream.jp/publics/index/27/

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車で約60分

5、蒲生峠/但馬-因幡国境の道

山がちな山陰東部では、昔の人々にとって、特に山を越える東西方向の移動はとても大変なことだったでしょう。因幡(鳥取県東部)と但馬(兵庫県北部)の境にある蒲生峠は、山陰から京都へ通じる山陰道の峠道として古くから利用されてきました。但馬-因幡の国境は日本海岸まで山地が続いています。昔の人は、この険しい国境においてなぜこのルートを選択したのでしょうか。

その答えは地形にあります。鳥取県岩美町の蒲生川を国道9号線に沿って遡ると、岩井温泉があり、そのさらに上流に蒲生、塩谷地区があります。蒲生峠越えは、標高およそ100 mの谷あいの塩谷集落から標高347 mの蒲生峠まで、傾斜がなだらかな山地を進みます。蒲生峠の南北の尾根筋は、標高がおよそ600~700mあり、蒲生峠の周辺のみが低くなっています。よって、この場所こそが因幡-但馬国境で最も超えやすい場所だったのです。

蒲生峠の周辺は泥岩(泥がたまって固まった岩)などの堆積岩が分布しています。泥岩は比較的軟らかく、侵食によって削られやすく、水を含んで地滑りを起こしやすいという特徴があります。こういった泥岩の性質によって、低く、なだらかな地形になったのでしょう。蒲生峠の南北に連なる山々は主に硬い火山岩(溶岩など)からなるため、侵食に強く、険しい地形になっているのです。

蒲生峠は、織田方の軍が但馬から因幡へ攻め入ったルートの一つです。歴史が下り、明治時代になると山陰道が一級国道に選定され、国によって整備されました。人はもとより人力車、荷馬車などの往来で賑わいました。戦後、自動車交通の発達に伴って改修が行われ、昭和53(1978)年には蒲生トンネルが完成し、峠道の役割は終わりました。平成8年に文化庁の「歴史の道百選」に選定されています。


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車で約30分

6、小代城山城(香美町)/小代一揆の拠点

織田信長の但馬・因幡侵攻に対し、激しく抵抗した人々がいました。織田勢が特に苦戦したのが、「小代一揆」と呼ばれる勢力です。兵庫県香美町の南部に位置する小代の人たちは、毛利に味方し、小代やその南東の養父市で何年も攻防を繰り返しました。

小代城山城は、小代一揆勢が立てこもった城です。矢田川と久須部川にはさまれた山上397mにあり、東西150m南北500mと広大です。天正5(1577)年、一揆平定を命じられた藤堂高虎の攻撃をこの城で迎え撃ち、勝利しました。しかし、天正9(1581)年、織田方の羽柴秀吉軍によってついに討伐されてしまいました。秀吉軍は一揆勢の抵抗に対して、凄惨を極めた殺戮を行い、山中に逃げ込んだ者たちを4、5日間も執拗に山狩りをして、やっと平定しました。その後すぐに秀吉軍は因幡に入り、第二次鳥取城攻めに取り掛かりました。

小代城山城跡はふれあい歴史公園として整備されていて、頂上付近まで車で行くことができます。駐車場からすぐに南砦、綺麗に整備された歩道から主郭へ行くことができます。主郭跡に櫓の展望台が設けられており、矢田川と久須部川の合流地点に開けた町を見渡すことができます。北・西・東砦へは案内板が設置されており、迷うことなく散策できるようになっています。

ところで、なぜ秀吉軍は小代一揆をそこまで徹底的に打ち倒す必要があったのでしょうか。それは、「氷ノ山越えルート」確保の目的があったと考えられています。小代城山城の南方、兵庫県と鳥取県の県境付近は氷ノ山(1,510m)をはじめとした険しい山がそびえます。兵庫県養父市北部を東西に流れる八木川に沿った谷から氷ノ山を越えて鳥取県若桜町に入るルートは、古くは但馬と因幡を結ぶ内陸の幹線道路であり、但馬・播磨からの進軍や後方支援のために重要でした。鳥取城攻めに先立ち、小代~養父市の抵抗勢力である一揆勢を完全平定しておかなければならなかったのです。

↓関連情報へリンク↓
ふれあい歴史公園

https://www.town.mikata-kami.lg.jp/www/contents/1110193159587/index.html

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車で約60分

7、出石城・有子山城(豊岡市)/守護大名山名氏の滅亡

室町時代末期、幕府の支配力は失われ各地の戦国大名が勢力争いを繰り広げていました。一時は但馬や因幡など山陰地方や近畿地方の11か国を支配し、室町幕府を支える守護大名として最大勢力を誇った山名氏は、この頃になると勢力を拡大してきた織田氏や毛利氏の争いに翻弄されていました。永禄12(1569)年、山名氏の代々の本拠であった豊岡市出石町の此隅山城が織田軍の羽柴秀吉の攻撃により落城すると、城主の山名祐豊は、一旦は但馬を去りましたが、その後、天正2(1574)年に再起をかけて同じく出石町の有子山山頂に有子山城を築城しました。しかしわずか6年後の天正8(1580)年に秀吉の弟の秀長によって落城し、山名時氏以来約250年間にわたり山陰地方に君臨した名門山名氏は、ついに歴史の表舞台から姿を消しました。一族はその後も、江戸幕府の幕臣や毛利氏の家臣となって生き延び、幕末を迎えました。

山名氏最後の地「有子山城」が築かれた有子山(城山)(321m)は、出石盆地の南の端にそびえ、北に谷山川、南と西に出石川に囲まれた、南北に長い尾根を持つ急峻な山です。城跡に通じる登山道はかなり急な山道を登ります。その途中で竪堀や「井戸曲輪」などを見ることができます。頂上には、石垣で囲まれた本丸や、千畳敷と呼ばれる広大な曲輪があります。本丸からは出石盆地、さらにはその北の豊岡盆地が一望でき、時期によっては雲海を見ることもできます。

有子山城は山名氏の後、秀吉の家臣らが城主を務めましたが、慶長9年(1604年)に当時の城主小出氏によって山麓に出石城が築かれ、有子山城は廃城になりました。江戸時代を通じて出石城は「但馬の居城」として存続し、明治維新を迎えました。現在の但馬の中心地といえば豊岡盆地ですが、かつては円山川がたびたび氾濫を起こしていました。そのため、明治以前の但馬の中心は水害が少ない出石にあったのです。出石城下町は往時の面影をよく残していて、四季を通じて観光客で賑わっています。

※有子山城跡への道は、山城最高レベルの本格的な登山(片道1時間)で、急勾配の山道や岩場を登るところがあります。体調を整え、しっかりとした登山の装備で臨んでください。

↓関連情報へリンク↓
日本の小さな城下町 出石(出石まちづくり公社)

https://daytrip-izushi.jp/about/

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